ううううさちゃんと

道重さゆみさんのファンであり、宮崎由加さんのファンでもあります。

わたしの神様だった道重さゆみちゃんのこと

1年ぶりのサユミンランドールがもうすぐ始まります。

21日に観に行けることになったので、その前に今日まで道重さゆみさんがどんな存在であったか、どんな存在であるかを自分のために記録します。

 

 

道重さゆみちゃんのことを好きになったの、正確には覚えていませんが2010年か2011年頃だと思います。バラエティを見て好きになってブログを読み始めた頃、マジですかスカの告知をしていたのを覚えています。

 

その頃私は大学生で、道重さゆみちゃんはモーニング娘。でした。
私の大学生活といったら、自意識とコンプレックスに振り回され続けた、それはそれは痛々しいものだったのですが、
さゆはそんな私の前に流れ星に乗ってきたみたいに現れて、それからそばにいてくれました。


鏡に向かって「よし、今日も可愛いぞ!」と言うのだと話すさゆの姿が、
「可愛い可愛いと言っていたら可愛くなれるんじゃないですかね」とラジオで話すさゆの言葉が、本当に救いで、道重さゆみちゃんは私の神様になりました。

 

 

道重さゆみちゃんがモーニング娘。を卒業したころ、私は社会人になっていました。
さゆのことを見れなくなったって神様だと思うその気持ちは変わらなくて、むしろ本格的に偶像崇拝が始まりました。
安い給料でさゆと同じアイシャドウを買って、さゆもどこかで同じ瞼の色で世界を見ているのだと思えば希望が湧いて目線が少し上を向きました。
さゆはこんな生活をしてるのではないかという妄想をするのも得意で、休日に資生堂パーラーに行って1人でいちごのパフェを食べました。
パフェを食べてお店を出た後、ツイッターを見て、卒業ぶりにさゆのブログが更新されたことを知りました。
復帰後は、サユミンランドールに行ったり、バースデーもお祝いしました。
復帰後のトークで知りましたが、さゆはいちごのパフェを食べるよりはお友達とポケモンセンターに行くことなどを楽しんでいたようでした。

 

沢山の年月を、道重さゆみちゃんは私と一緒に大人になってくれました。
私はさゆより少し歳下ですが、少し先にさゆが生きていて、道を示してくれたことがいつだって心強くて仕方なかったです。


さゆも私も大人になりました。
ハタチそこらだった年齢も、もう二十代後半です。
そんな今、道重さゆみちゃんは私の神様ではなくなりました。

 

 

私はさゆに出会う少し前からカワイイの信奉者でした。

そのせいでいろいろとアレな生き方をしてきましたが、最近、本当に最近、ようやくそういった気持ちが収まってきたのを感じます。
シワができても白髪が生えてもこのままで、どんどん理想と離れて辛かったらどうしようかとめちゃくちゃ不安でしたが、特にこれといったきっかけも思い浮かばなく、歳だからなのか自然に落ち着いてきました。

さゆが「可愛い可愛いと言っていたら可愛くなる」と言っていたから、どうか明日こそは可愛くなっていて欲しいと奇跡を願って寝ていたけど、
もう、明日今日より可愛くなれなくても大丈夫になりました。
今もさゆの言葉は前を向くためにとても大切ですが、もう十字架を握りしめるような気持ちではありません。

可愛いことが絶対で、そこを目指してよじ登っていた、そういう気持ちが切れたから、絶対的に可愛いさゆはもう神様じゃなくなってしまった。
そういったこと以外にも少しずつ、若い頃のこだわりや執着が、例えるなら映画とかで船が出航するときに持つお別れのテープみたいにブチブチ切れていく感覚があって、これが全部切れたらようやく大人になるのかなと思います。(これは後で読み返せないほど恥ずかしい表現ですね)


で、自分と同じように、いろんなこだわりが切れていってるんじゃないかなというのをさゆからも感じていてます。
復帰後のさゆはなんだかとても自由になったなと思います。
グループ特有の序列もないし好きに振る舞える環境のせいか、憑き物が落ちたようで、大人になったとも感じますが子どもみたいに見えることもあります。
決定的なのは髪の毛を切ったこと。
それまでさゆの長い髪は「アイドル道重さゆみ」を象徴する意味合いがありました。
お姫様のような巻き髪やうさちゃんヘアーができなくなるということが大きな意味を持つのは、私だけではなく、さゆにとってもそうだったと思います。

それでも切ったということは、さゆもまたそのころから離れた場所にいるのだと思います。


髪を切ったことは、正直に言うと寂しかったです。
そのころ私はあんなに崇め奉っていたさゆがもう神様じゃないという気持ちの変化を自覚し始めていて焦りのような気持ちがあったし、さゆ側の変化まで来てしまったと感じたので。
私も変わって、さゆも変わる、それは止められないと思い知るきっかけがさゆの髪が短くなったことでした。

自分にとってはどこで神様じゃなくなったのか、ターニングポイントを考えたら去年にサユミンランドールに行ったことだと思います。

そこで道重さゆみちゃんが現実になったから。
当時、こんなに近くで見てさゆが私の神様じゃなくなったらどうしようと思って、そのことはこのブログにも書いてあるけど、やっぱりあれがきっかけで変わった。

でも行かなくても遅かれ早かれ同じだったと思います。

 

自分の気持ちが変わるのは悲しいし怖いし、現在地が地獄であったとしたっていつまでもそこで祈っていたかったーなんて失恋したての馬鹿みたいなことを思ったりもするけど、

まあそんなのは当たり前に無理なんですよね。

このブログにもいくつか非公開の記事があるけど1年経ってなくてももう自分に共感ができないことだらけだし、

いろんな気持ちが殺されたり殺したりして無くなって、過去の話をされても自分のこととは思えないこともよくあるし。

 

さゆと同じものが欲しくて買ったアイシャドウもおまじないみたいに毎日使ってたけど、最近は特にそういう感覚もなくなって濃かった茶色は自分の色のようで
でも、買った袋の重みが嬉しくて上野の横断歩道を渡ったことだって覚えてて、そのころと同じ気持ちになることもたまにあって、
人生はずっとつながっているのだなあとそういう時に感じる。

私も変わって、道重さゆみちゃんも変わって
私の神様ではなくなったけど(こんな風に書いたけどまだ神様の日も全然あるんだけど)、でも形を変えても、今日までやっぱりさゆのことが好きだから、

変わった気持ちのことはまだ、「神様」みたいに名前があるのかもわからないし、これからも形を変えていくだろうけど、自分の変化にもさゆの変化にもなるべく優しくいるように努めて、そうして、できたらずっとさゆのことを好きでいたい。

 


復帰後のラジオで、「『これからもずっと』あなたのハートにうさちゃんピース」と言ってくれたこと、すでに擦り切れそうなくらいリピートしています。

これからもきっとずっと、道重さゆみちゃんと。